元宝塚歌劇団 雪組トップスター・専科【轟悠】

アイキャッチ 轟悠 卒業生

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元宝塚歌劇団 雪組トップスターで専科の轟 悠とどろき ゆうさん。

“トップ オブ トップ”として長年宝塚歌劇団の顔を背負ってきた轟悠さんは、一体どんな方なのでしょうか?

このページでは、宝塚歌劇にハマり始めたばかりの初心者の方に向け、轟悠さんの魅力をご紹介いたします!

 

トップオブトップ【轟悠】とは?

轟悠(とどろき ゆう)さんは、1997年7月31日付で雪組トップスターに就任し、2002年2月12日付で専科へ異動。宝塚歌劇団の顔として37年間活躍してきました。

ギリシャ彫刻を思わせるような顔立ちと、重厚感のある芝居でその存在感を確立し、『風と共に去りぬ』レット・バトラー役や、『エリザベート』ルイジ・ルキーニ役、『凱旋門』ラヴィック役などで、男役の真髄を極めて来ました。

専科に異動後も各組への特別出演として主演を担い、男役の体現者としてだけでなく舞台人としての技術や心得などを後輩たちへ継承すべく、その責務を全う。

専科では理事、そして特別顧問の役職も担い、2021年10月1日付で宝塚歌劇団を退団しました。

 

轟悠さんのプロフィール

轟 悠(とどろき ゆう)

誕生日:8月11日

期:71期生

出身地:熊本県人吉市

身長:168㎝

血液型:A型

愛称:イシサン、トム

好きなもの:和食、果物

初舞台:1985年3月『愛あれば命は永遠に』

 

轟悠さんは、熊本県人吉市で生まれ、兄1人と弟2人の長女として育ちました。幼い頃はパイロットや獣医になりたかったそうです。

宝塚音楽学校には1度目の受験で合格し1983年に入学、1985年に71期生として宝塚歌劇団に入団し、月組に配属されました。

その後、1988年7月1日付で雪組へ組替えとなります。

翌年1989年『ベルサイユのばら-アンドレとオスカル編-』アンドレ役にて、入団5年目新人公演初主演に抜擢された後、5度の新人公演主演を務めました。

1992年にバウホール初主演、1994年には『風と共に去りぬ』で、レット・バトラー役を始めとした3役を役替わりで演じました。

1996年『エリザベート』日本初演でルキーニ役に抜擢され、同年にバウホール・日本青年館公演『アナジ』にて東上初主演を務めます。

そして、高嶺ふぶき(現・たかね吹々己)さんの後任として1997年7月31日付で雪組トップスターに就任しました。

雪組トップスターを約4年半務めた後、2002年2月12日付で専科へ異動し、各組への特別出演として主演を演じて来ました。

2003年6月14日付で劇団理事に就任し、2020年7月18日付で特別顧問に就任。現役生徒の特別顧問は、松本悠里さんに続き2人目となりました。

2021年10月1日付で宝塚歌劇団を退団入団37年目での卒業となりました。

 

宝塚を目指した切っ掛け

宝塚音楽学校

轟悠さんが宝塚歌劇を始めて知ったのは中学1年生の頃で、たまたまテレビで観た大地真央さんがジェームス・ディーンを演じた作品『ディーン』

宝塚歌劇の事はまったく知らなかったため、「外国人の男性がきれいな日本語でお芝居をしている」と思いながら見入ったそう。

そして瞬く間に宝塚に夢中になり、「私、ここに入る」と理屈ではなく直感的に思ったそうです。

また、淡路島にある親戚の家で、大地真央さんと黒木瞳さんに対面。大地真央さんに受験を勧められ、その足で宝塚音楽学校の願書を取りに行ったというエピソードが有名です。

日本舞踊だけは幼い頃から続けていましたが、バレエと声楽は経験がなかったため、学校の音楽の先生に試験曲の伴奏を弾いて貰いながら練習したそう。

そして、中学卒業と同時に宝塚音楽学校を受験します。受験当日は、他の子たちとのレベルの違いに圧倒され、日舞以外に自信がなかったため、控え室の一番端でじーっとしていたそうです。

合格できるとは思っていなかったため、熊本へ帰る荷物を空港へ向かうタクシーの中に置いて合格発表を見に行ったところ、見事一発合格

阪急タクシーの運転手さんに「おめでとう」と初めて言って貰ったことが、今でも忘れられない思い出だそうです。

音楽学校に入学してからは、方言の訛りが強かったため言葉が通じなかったり、関西弁が分からず苦労したそう。ピアノで音を取りながらイントネーションを覚えたと話しています。

轟悠さんの芸名の由来は、熊本県八代市にある栴檀轟の滝(せんだんとどろのたき)という滝の名前から取ったそうです。

 

雪組トップスター時代

轟悠さんは、1997年7月31日付で雪組トップスターに就任し、専科へ異動するまでの約4年半務めました。

相手役には前任より引き続き花總まりさんを迎え、『真夜中のゴースト / レ・シェルバン』でトップコンビ大劇場お披露目となりました。

また、同公演をもって花總まりさんが新設された宙組へ異動となったため、2人目の相手役として月影瞳さんを迎え、同年春櫻賦しゅんおうふ / LET’S JAZZ』にて新トップコンビ大劇場お披露目となりました。

1998年の雪組全国ツアー公演『風と共に去りぬ』にて、2度目のレット・バトラー役を演じます。

1999年には4回目の再演となる大劇場公演『再会』ジェラール役、『ノバ・ボサ・ノバ』 ソール役を務めました。

1998年バウホール公演『THE FICTION』では、宝塚歌劇史上初一人ミュージカルを上演。12役を演じ分けるという偉業を成し遂げました。

2000年には、大劇場公演『凱旋門』ラヴィック役での演技が評価され、文化庁芸術祭の演劇部門優秀賞を受賞

『凱旋門』轟悠さんの代表作の一つとなり、2018年の再演で再びラヴィック役を演じました。

雪組トップスターとしての最後の公演は、『愛燃える /Rose Garden』

また、同期の71期生には愛華みれさん、真琴つばささん、稔幸さんがおり、同時期に各組のトップスターを務めていた時期がありました。

2021年2月には4人が集結し、『71st Special Show IV voice-テトラ ヴォイス-』を開催しました。

 

専科への異動

轟悠さんは、雪組トップスターを約4年半務めた後、2002年2月12日付で専科へ異動しました。

翌年には劇団運営に参画する理事に就任、2020年には特別顧問に就任

専科への異動は、“宝塚の至宝”とうたわれた故 春日野八千代さんの後を継ぐ役割を期待されてのことでした。

通常は専科に配属となると、必要に応じて各組の公演に出演し、重要な脇役を演じることが多いのですが、轟悠さんだけは各組への特別出演においても常に主演を演じ続けるという役割を担いました。

それは男役の頂点としてだけでなく、宝塚歌劇団の生徒として舞台人として、後輩たちのお手本として存在し続けるということでした。

「私が出ることは、その組にいろんな方向から指導してほしいという意味があります。また逆に、現場の生徒の立場で気付くことを歌劇団に伝えて、互いがより向上していけばいいなと思っています」

http://www.sankei.co.jp/enak/sumirestyle/2005/apr/kiji/19ishii03.html

専科に異動して初めの1年は5組へ順に出演しましたが、その後は毎年1公演への出演ディナーショー、年末イベント『タカラヅカスペシャル』に出演してきました。

また、それまでにも様々な賞を受賞してきましたが、元アメリカ大統領リンカーン役を演じた2017年花組公演『For the people – リンカーン 自由を求めた男 – 』で、「第24回読売演劇大賞 優秀女優賞」に輝きました。

「宝塚というジャンルを極めた」「宝塚の男役の一つの典型、美学を作り上げ、さらにその枠を広げていた」と絶賛され、劇団外からも高い評価を受けたそうです。

 

趣味の絵画

轟悠さんの趣味の一つに絵画(油彩画・デッサン画)がありますが、何度か個展を開くほど技術は本格的なものです。

ご自宅の一角にはアトリエがあり、絵を描くのは舞台の次に好きなこと

子供の頃は砂場で遊びながら砂に絵を描いたり、色エンピツやクレヨンなどで絵を書くのが好きで、幼稚園の頃に絵画を習い始めたそう。

お母様が習っていた先生に兄弟と一緒に習い、その先生に勧められて小学4年生の時からは油絵も描き始めました。

雪組トップスター時代までは忙しかったため、専科へ異動してから出来た時間で再び絵画を描き始めたそうです。

2003年に初めて開いた個展「心の旅」は、繊細でありながら大胆さもあり、宝塚の男役スターならではのファンタジックな作風が評判を呼び、2016年の第6回まで開催されていました。

第6回の個展では、富士山とモン・サン・ミッシェルという二つの世界遺産をテーマとした新作22点を含む40点を展示。

更には、お母様の絵画と轟悠さんが小中学生の頃に描いた絵画を展示した「親子展」の一角も設けられ、充実した内容となっていました。

 

芸歴30年目となった2015年轟悠ビルボードライブ『Eternal Way with YU ~Thank you 30th~』では、お客様をモデルに即興でイラストを描くというパフォーマンスも披露していました。

 

退団について

2021年3月18日、轟悠さんは2021年10月1日をもって退団することを発表し、記者会見を行いました。

退団を決意した時期として、「はっきりと退団を決めたのは昨年(2020年)で、心の中に“退団しよう”という思いがごく自然に現れ、それに素直に従おうと思いました」と語りました。

男役の集大成となる最後の舞台作品は婆娑羅の玄孫ばさらのやしゃご

轟悠さんの初舞台や『風と共に去りぬ』などを手掛けてきた縁の深い植田紳爾しんじ先生の作品で卒業したいと、自ら直接お願いしたそうです。

『婆娑羅の玄孫』では江戸文化華やぐ街を舞台に、得意の日本舞踊を織り交ぜた人情もので子どもたちを教え導くという役柄を演じました。

劇中でも轟悠さんの愛称“イシサン”を織り込み、植田紳爾先生の愛情を深く感じられる作品となりました。

そしてラストステージには、ディナーショー『Soon Yū’ll Go』

最後のステージには“お客さまとの距離が近く感じられるディナーショーを”と、轟悠さんご自身が希望したそうです。

長い宝塚人生で歌われてきた思い出の曲たちと共に、長年追い掛け続けてきたファンとの時間を過ごしました。

宝塚歌劇団を卒業する際は、“黒紋付きに緑の袴という正装をまとい、大劇場の大階段を降りる”というのが通例ですが、そのようなイベントは断り、静かに退団したいというお気持ちを劇団へ伝えたそうです。

退団発表の会見の際も、通常は全身真っ白なコーディネートが多いのですが、轟悠さんらしく形式にとらわれないお衣装で会見に登場しました。

 

専科へ異動の打診があった時、雪組トップスターとして退団するか、専科へ異動するか、半年ほど悩んで決心したそうです。

しかし専科に残っていなければこれだけ多くの方々と出会えず、多くの役と巡り合い演ずることは出来なかったため、専科に残る選択をして正解だったと退団発表の記者会見で語っています。

 

宝塚の男役の集大成として、最後の舞台写真集も発売されました。

専科時代の舞台写真や、初舞台からの舞台年表、退団を決めた時の気持ちを率直に語るロングインタビューなども掲載されています。

宝塚歌劇という夢の世界で、究極の男役を追究し続けてきた轟悠さんを収めた最高の一冊となっています。

 

轟悠さんの主な舞台

【初舞台】1985年3月〜
1985年花組『愛あれば命は永遠に』(宝塚大劇場のみ)
【月組時代】1985年8月〜
【雪組時代】1988年7月〜
新人公演主演1989年『ベルサイユのばら-アンドレとオスカル編-』
アンドレ役(本役:杜けあき)
1990年『天守に花匂い立つ』加納真之介役(本役:杜けあき)
1990年『黄昏色のハーフムーン』フィリップ役(本役:杜けあき)
1991年『スイート・タイフーン』
風の青年S、プリンス、ダンディ、鳳凰役など(本役:杜けあきさん等)
1991年『華麗なるギャツビー』ジェイ・ギャツビー役(本役:杜けあき)
バウホール主演1992年バウホール公演『恋人たちの神話』
東上主演1996年バウホール・日本青年館公演『アナジ』
【雪組トップスター時代】1997年7月31日〜
トップスター大劇場お披露目1997年大劇場公演『真夜中のゴースト / レ・シェルバン』(宝塚大劇場のみ)
新トップコンビ大劇場お披露目1997年大劇場公演『春櫻賦 / LET’S JAZZ』
1998年全国ツアー公演『風と共に去りぬ』
1998年大劇場公演『浅茅が宿』
1998年バウホール公演『THE FICTION』
1998年1000days劇場公演『浅茅が宿 / ラヴィール』
1999年大劇場公演『再会 / ノバ・ボサ・ノバ』
1999年大劇場公演『バッカスと呼ばれた男 / 華麗なる千拍子’99』
2000年大劇場公演『デパートメント・ストア / 凱旋門』
2001年大劇場公演『猛き黄金の国 / パッサージュ』
2001年大劇場公演『愛 燃える / Rose Garden』
【専科時代】2002年2月12日〜
2002年専科・雪組・花組 日生劇場公演『風と共に去りぬ』
2004年雪組大劇場公演
『青い鳥を捜して / タカラヅカ・ドリーム・キングダム』
2006年月組大劇場公演『暁のローマ / レ・ビジュー・ブリアン』
2006年月組日生劇場公演『オクラホマ!』
2007年星組日生劇場公演『KEAN』
2008年宙組大劇場公演『黎明の風 / Passion 愛の旅』
2010年雪組日本青年館・バウホール公演『オネーギン Evgeny Onegin』
2011年専科バウホール・日本青年館公演『おかしな二人』
2013年星組ドラマシティ・日本青年館公演『南太平洋』
2013年専科バウホール公演・2014年専科日本青年館公演『第二章』
2014年月組梅田芸術劇場公演『風と共に去りぬ』
2014年星組大劇場公演『The Lost Glory-美しき幻影-』
2015年月組中日劇場公演『風と共に去りぬ』
2015年専科バウホール公演『オイディプス王』
2016年花組ドラマシティ・KAAT神奈川芸術劇場公演
『For the people-リンカーン 自由を求めた男-』
2016年宙組バウホール・KAAT神奈川芸術劇場公演『双頭の鷲』
2017年月組博多座公演『長崎しぐれ坂 / カルーセル輪舞曲』
2017年専科バウホール公演神家こうやの七人』
2018年星組ドラマシティ・TBS赤坂ACTシアター公演『ドクトル・ジバゴ』
2018年雪組大劇場公演『凱旋門』
2019年専科バウホール公演『パパ・アイ・ラブ・ユー』
2019年月組日本青年館・ドラマシティ公演『チェ・ゲバラ』
2020年星組ドラマシティ公演『シラノ・ド・ベルジュラック』
2021年星組ドラマシティ・プレイハウス公演婆娑羅ばさら玄孫やしゃご

 

轟悠さんの代表作

轟悠さんが演じてきたたくさんの役柄の中でも、特に代表される作品をご紹介いたします。

 

『風と共に去りぬ』 レット・バトラー役

出典:https://kageki.hankyu.co.jp/revue/2014/gone_with_the_wind_umegei/poster.html

轟悠さんと言えば『風と共に去りぬ』レット・バトラー役、といわれるほど定着してきた役柄です。

『風と共に去りぬ』の原作は、マーガレット・ミッチェルの同名小説(原題:Gone with the Wind)。

宝塚歌劇では1977年に、座付き演出家の植田紳爾先生による脚本・演出により初演。大人気を博し、繰り返し再演されてきた宝塚歌劇の看板演目の一つで、『ベルサイユのばら』に次ぐヒット作です。

轟悠さんは、雪組トップスター就任前の1994年に役替わりで演じたのを皮切りに、5回に渡り演じて来ました。

轟悠さんのレット・バトラー歴史
  • 1994年雪組宝塚大劇場公演 チャールズ・ハミルトン / レット・バトラー役(役替り)
  • 1994年雪組東京宝塚劇場公演 レット・バトラー / アシュレ・ウィルクス役(役替り)
  • 1998年雪組全国ツアー公演 レット・バトラー役
  • 2002年専科・雪組・花組合同 日生劇場公演 レット・バトラー役
  • 2014年月組梅田芸術劇場公演 レット・バトラー役
  • 2015年月組中日劇場公演 レット・バトラー役

レット・バトラー役は、宝塚作品の中でも特に“男役の最高峰”といわれる難役。

包容力の豊かさや色気だけでなく、内面に秘める繊細さや優しさも表現できれなければなりません。

そんな難しい役どころを演じる度に成長してきたと話す轟悠さんは、レット・バトラー役にて「第28回菊田一夫演劇賞」ならびに「日本映画批評家大賞ミュージカル大賞」を受賞しました。

男役の最高峰である、轟悠さんのレット・バトラーを是非ご覧になってみてください。

 

『エリザベート』 ルイジ・ルキーニ役

出典:https://shop.tca-pictures.net/tcaonlineshop/shop/goods/index.html?ggcd=TCAD-010

『エリザベート』は言わずと知れた名作ミュージカルで、1992年にオーストリアのウィーンで誕生しました。

宝塚歌劇では1996年に、座付き演出家の小池修一郎先生の脚本・演出により、雪組にて初演されました。

その後、各組で10回に渡り上演されており、毎公演チケット難となるほど宝塚歌劇を代表するミュージカルとなっています。

初演当時、雪組の3番手だった轟悠さんはルイジ・ルキーニ役を演じ、大好評を博しました。

ルキーニ役は、イタリア人テロリストで物語の進行役という非常に重要な役どころ

轟悠さんが確立した素晴らしいルキーニにより、その後に続いてルキーニ役を演じた方がほとんどトップスターに就任するという、今では出世役となっています。

ウィーンのスタッフにも高評価を受けただけでなく、「1人だけ男性がいる」と言わしめたという有名なエピソードも!


 

『凱旋門』 ラヴィック役

出典:https://kageki.hankyu.co.jp/revue/2018/gaisenmon/special_005.html

『凱旋門』は、エリッヒ・マリア・レマルクによる同名小説。

宝塚歌劇では2000年に、座付き演出家の柴田侑宏先生の脚本・演出によりミュージカル化され、雪組にて初演されました。

轟悠さんが演じたのは、パリに亡命中のドイツ人外科医・ラヴィック。ラヴィックは今にも川に身を投げそうな女性・ジョアンを助け、二人は恋に落ちます。

シャンソンをモチーフに、第二次世界大戦前夜の混沌としているパリで起こる人間ドラマを描いた物語。

抑えた演技で哀愁を漂わせ、それまでの男役としての経験を凝縮した芝居で魅了し、ラヴィック役にて「第55回文化庁芸術祭賞演劇部門優秀賞」受賞しました。

また、2019年には雪組での再演に専科として出演し、再びラヴィックを演じました。

 

轟悠さんの代表作をご紹介してきましたが、まだまだご紹介しきれていません…。

2009年以降の出演作からピックアップされた5作品を収録した、『MEMORIAL Blu-ray BOX「YU TODOROKI」』が発売されていますので、轟悠さんが気になった方もファンの方も是非チェックしてみてくださいね。

こちらは5枚組のBlu-ray BOXで、下記の公演が収録されています。

  • 2009年星組梅田芸術劇場 シアター・ドラマシティ公演『コインブラ物語』
  • 2014年月組梅田芸術劇場 メインホール公演『風と共に去りぬ』
  • 2016年花組梅田芸術劇場 シアター・ドラマシティ公演『For the people ―リンカーン 自由を求めた男―』
  • 2015年専科宝塚バウホール公演『オイディプス王』
  • 2019年専科公演バウホール公演『パパ・アイ・ラブ・ユー』

 

まとめ

今回は、元雪組トップスターで専科の轟悠さんについて、プロフィールや宝塚を目指した切っ掛け、雪組トップスター時代や専科への異動、退団、代表作などについてご紹介いたしました。

雪組トップスターを約4年半務めた後専科へ異動し、宝塚歌劇団の顔として37年間活躍してきた轟悠さん。

ギリシャ彫刻を思わせるような顔立ちと、重厚感のある芝居でその存在感を確立し、『風と共に去りぬ』レット・バトラー役や、『エリザベート』ルイジ・ルキーニ役、『凱旋門』ラヴィック役などで、男役の真髄を極めて来ました。

専科に異動後も各組への特別出演として主演を担い、男役の体現者としてだけでなく舞台人としての技術や心得などを後輩たちへ継承してきました。

専科では理事・特別顧問の役職も担い、2021年10月1日付で宝塚歌劇団を退団しました。

 

おそらく宝塚ファンの誰もが轟悠さんは永遠に宝塚にいらっしゃるものだと思い込んでいたので、退団が発表された時、とても大きな衝撃を受けました。

入団した時に“舞台は宝塚の男役だけ”と決めていたそうなので、退団後はどのような形でお目にかかれるのか分からず、宝塚ファンとしては寂しさが大きいです。

しかし、サヨナラショーや大階段を降りること無く静かに退団するという去り際を選んだことは、轟悠さんらしく最後まで謙虚で美しいと感じました。

轟悠さんの新たな人生が幸せなものになるよう、心から祈っております。

 

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